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インターン先の社長を追う

2002年 7月29日 第13号

第二章 『仕事とは何なのか』〜仕事の本質を捉えて成功した戦後の起業家たち〜

清水

 この数十年で日本は驚異的な成長を遂げた。この成長は世界でもまれに見る成長である。この背景には他人のために貢献をし、そして経済を大きくしていった戦後起業家達の努力の賜物なのである。彼らは一様に焼け野原になった日本を見て、どのようにすればこの国を立ち直らせることが出来るのかを必死に考え、必死に挑戦した。その結果が現在の日本の発展を支えてきた大企業たちである。

 ここでは人々のために貢献し、そのために仕事をすることがいかに重要なことなのかを強く理解してもらうために社会に貢献しようと努力した起業家について書いてみたい。


【東京通信工業】

 世界で有名な日本の企業といえばソニーをはずすことは出来ない。ソニーの2001年度の連結売上高7兆3148億8240万円。数万人の社員を抱え、その社員が得る所得を糧にしている人々も含めると実に数十万人もの家庭を支えていることになる。日本経済新聞が調査する企業ブランドイメージ部門では常に1〜2位をキープし、学生が就職したい企業ランキングでも常に上位に位置している大企業である。その実力、ブランドイメージ、規模などをとっても、日本が世界に誇れる大企業である。


 このソニーの前身が「東京通信工業株式会社」という企業である。戦後まもなく1946年に設立された会社で、1958年に社名をソニー株式会社に変更する。今では押しも押されぬ大企業になったソニーだが、設立当初は零細企業の一つでしかなかった。設立当初などは売上が発生せず、創業者である井深大が自らの貯金をはたいて社員に給料を払っていたほどである。大空襲の中焼け残った日本橋の白木屋(旧東急百貨店)の3階、狭い配電室が新しい仕事場だったのである。焼け残ったとはいえ、建物の周りのコンクリートはヒビ割れ、窓ガラスさえない吹きさらしの粗末な一室である。


 そのような東京通信工業が現在の大企業にまで成長した原動力は、創業者たちの強い想いである。その創業者の想いをつづった設立趣意書の一部を紹介してみたい。ソニーの創業者の想いは、50年以上たった今でも学ぶことが多い。それは何のために就職し、仕事をするのかといった根源的な問いに対する答えがあるからである。


東京通信工業株式会社設立趣意書

1946年(昭和21年)1月、ソニーの創業者、井深 大(いぶか まさる:ファウンダー・最高相談役)が起章した。「東京通信工業株式会社設立趣意書」

 戦時中、私が在任せる日本測定器株式会社に於て、私と共に新兵器の試作、製作に文字通り寝食を忘れて努力した、技術者数名を中心に、真面目な実践力に富んでいる約二十名の人達が、終戦に依り日本測定器が解散すると同時に集まって、東京通信研究所と云ふ名称で、通信機器の研究製作を開始した。


 これは技術者達に技術する事に深い喜びを感じ、その社会的使命を自覚して思いきり働ける安定した職場をこしらえるのが第一の目的であった。戦時中、総ての悪条件の基にこれ等の人達が孜々として、使命達成に努め大いなる意義と興味を有する技術的主題に対して驚くべき情熱と能力を発揮する事を実地に経験し、又、何がこれ等の真剣なる気持を鈍らすものであるかと云ふ事を審に知る事が出来た。


 それでこれ等の人達が、真に人格的に結合し、堅き協同精神を以て思ふ存分技術能力を発揮出来る様な状態に置く事が出来たら、例へ其の人員は僅かで、其の施設は乏しくとも其の運営は如何に楽しきものであり、其の成果は如何に大であるかを考へ、この理想を実現出来る構想を種々心の内に書いて来た。


 ところがはからざる終戦は、之の夢の実現を速進して呉れた。誰れ誘ふともなく志を同じくする者が自然に集り、新しき日本の発足と軌を同じくして我々の発足が始まった。発足に対する心構へを今更喋々する要もなく、永い間皆の間に自然に培れていた共通の意志に基いて全く自然に滑り出したのである。


 最初は、日本測定器から譲渡して貰った僅かな試験器と材料部品と小遣ひ程度の僅かな資金を以て出来るだけ小さな形態で何とか切抜けて行く計画を建てた。


 各人は、其の規模が如何に小さくとも其の人的結合の緊密さと確固たる技術を持って行ば如何なる荒波をも押し切れる自信を持って大きな希望を以て出発した。斯様な小さな規模で出発した所以は、この国家的大転換期に於ける社会情勢の見透しが出来ず、又我々の仕事が社会に理解され利用価値を見出される迄には、相当の期間を要すると考へたからである。然るに実際に動き出して見ると我々の持つ様な技術精神や経営方針が如何に現下の日本にとって緊急かくべからざる存在であったかを各方面からの需要の声を通じてはっきり自覚せしめられたのであった。


 其れは先づ逓信院、運輸省等の通信に関係ある官庁の活溌な動きに見出された。即ち全波受信機の一般への許可民間放送局の自由開始、テレヴィジョン試験放送或は戦災通信網の急速なる復興、意図とその綿密厖大なる諸計画の発表等他の低迷困惑せる諸官庁の中にあって一人水際立った指導性を示し一般業者側が逆に牽引されたかの感を呈したのであつた。


 斯る動きは特に過去において逓信院と関係の深かった我々に対し直接の影響を及ぼし、早くも真空管電圧計等の多量註文を見る結果となり。


 其の他短時日の間にこの方面より提案された新製品の研究、試作依頼の種目は相当量にのぼる状態である。又間接的面から云へば全波受信機の一般許可に依る影響は終戦後の「ラヂオプログラム」に対する新しい興味と共にラヂオセット其の物に対する一般の感心を急激に喚起し戦災に依る「セット」電気蓄音機類の大量焼損も相待って我が社のラヂオサービス部二対する需要を日を追って増加せしめたのである。其の他諸大学、研究所の学究、同じ志を有する良心的企業家等と特に深い相互扶助的連繋を持つ我々はこの方面よりの優秀部品類に対する多種多彩な要求に等面しつつあるのである。


 以上の如き各方面よりの需要の増大は我々に新しい決意を促したのである。即ち資本と設備を拡充する事の必要と意義を痛感したのである。


 我々の心からなる試みが、かくも社会の宏般な層に反響を呼び起し、発足より旬日を経ずして新会社設立の気運に向った事に対し、我々は云ひ知れぬ感動を覚へる。それは単に我が社の前途に赫々たる発展飛躍を約束するばかりでなく我々の真摯なる理想が再建日本の企業の在り方とはからずも一致した事に対する大なる喜びからである。

会社設立の目的

一、 真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由豁達にして愉快なる
    理想工場の建設 


一、 日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動 


一、 戦時中、各方面に非常に進歩したる技術の国民生活内への即事応用 


一、 諸大学、研究所等の研究成果の内最も国民生活に応用価値を有する優秀なるもの
    の迅速なる製品、商品化 


一、 無線通信機類の日常生活への浸透化並びに家庭電化の促進 


一、 戦災通信網の復旧作業に対する積極的参加並びに必要なる技術の提供

 
一、 新時代にふさわしき優秀ラジオセットの製作普及並びにラジオサービスの徹底化 
一、 国民科学知識の実際的啓蒙活動 



 ≪ 経営方針≫

一、 不当なる儲け主義を廃し、飽迄内容の充実、実質的な活動に重点を置き、徒らに規模   の大を追はず 


一、 経営規模としては寧口小なるを望み大経営企業の大経営なるが為に、進み得ざる
    分野に技術の進路と経営活動を期する 


一、 極力製品の選択に努め技術上の困難は寧口之を歓迎、量の多少に関せず最も社会    的に利用度の高い高級技術製品を対象とす、又単に電気、機械等の形式的分類は     避け、其の両者を統合せるが如き他社の追随を絶対許さざる境地に独自なる製品化    を行ふ。 


一、 技術界業界に多くの知己関係と絶大なる信用を有する我が社の特長を最高度に活用    以て大資本に充分匹敵するに足る生産活動販路の開拓資材の獲得等を相互扶助的    に行ふ 


一、 従来の下請工場を独立自主的経営の方向へ指導育成し、相互扶助の陣営の拡大強    化を計る 


一、 従業員は厳選されたる可成小員数を以って構成し、形式的職階制をさけ、一切の秩序    を実力本位、人格主義の上に置き個人の技能を最大限に発揮せしむ。


一、 会社の余剰利益は適切なる方法をもって全従業員に配分、又、生活安定の道も実質    的面より充分考慮援助し、会社の仕事即ち自己の仕事の観念を徹底せしむ。(後略)

    引用 東京通信工業設立趣意書より 発行年 1946年 著者 井深大 
     注:引用文献は全て平仮名が片仮名で書かれていたため、読み易いように
     平仮名に変換してある。

 
   以上がソニーの前身である東京通信工業の設立趣意書である。

一、 日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動
   (会社設立の目的より)


 上記は我々のような学生にとって学ぶところが大きいのではないだろうか。焼け野原になった日本を見て彼らは心から何とかしたいと思ったのではないだろうか。その想いで彼らは努力に努力を重ねて技術を高め、世界初のトランジスタラジオなどを開発し、それらを輸出して外貨を稼いで日本の復興に努めたのである。


 彼らが自分の生活のためだけに仕事をしたのであれば、ソニーはここまでの会社になっただろうか。自分の利益を追求するだけではなく、社会に貢献したいという想いがあったからこそ、創業者の井深は売上が上がらないときは自らの貯金をはたいてまで社員に給料を出したのである。また、自分のためだけではなく、社会のためにやっているという強い想いがあったからこそ社員も骨身を削って働いたのではないだろうか。


 いわばソニーは戦後最大級のベンチャー企業である。ベンチャー企業というと、一時期キャピタルゲインを得て大金持ちになった企業の経営者ばかりが取り上げられていたが、そのような企業は真のベンチャー企業とはいえない。強い想いをもって社会に貢献する起業家が立ち上げた会社こそがベンチャー企業なのである。


【 松下電器産業】

 このような企業はソニーだけではない。同じ業界の松下電器産業も、創業者である松下幸之助が裸一貫から作り上げた企業である。彼もまた社会の事を考えた起業家である。1945年8月15日、松下幸之助が松下電器の幹部たちとともに敗戦を告げるラジオ放送を聞いた時の話は非常に得るものが多い。


 日本全体が虚脱感に包まれていた時代である。これからの経済情勢がどのようになるのかも見当がまったくつかない。大正7年に創業していた松下電器産業はすでに2万人の従業員を抱える企業となっていた。2万人の従業員を抱える松下幸之助には、我々学生には想像すら出来ないようなプレッシャーがかかっていた事だろう。松下幸之助は眠れぬ夜を過ごして一つの結論を出したのだが、それは「生産こそ復興の基盤、今こそ松下電器は民需生産の先陣を切り、物資欠乏をなくし、失業をなくす産業人の使命を果たしていこう」というものだったのである。敗戦という究極の状況に置かれながらも、自己の利益を追求するだけではなく、社会の事を想い活動しようとしたのである。崇高な目標を掲げて起業した戦後の起業家たちには本田技研工業の本田宗一郎や、京セラの稲盛和夫などそうそうたる面々がいる。


 戦後の先輩起業家のほかに、現代の起業家を見てみると一時の時流に乗り富を得たベンチャー企業の多くはITバブルの崩壊でかつての勢いは見る影もない。株価が数百万、数千万円以上もあったベンチャー企業もあったのだが、バブルの崩壊でその値段は数万分の一程度まで下がったものもある。そんな企業の経営者を知っている人たちから聞くと、とても社会の事を考えて経営をしていたとは思えないと皆一様に言っているのである。そして、社会のために頑張ろうとしている企業の経営者は不思議とバブルが崩壊しても生き残っていると言うのである。


 そのような栄枯盛衰をみていると、人々のためを思わぬ我欲を追求した仕事で多額の富を得たとしても、それは長くは続かないということである。このような事象は歴史を顧みれば何処にでも見つけることが出来る。企業の栄枯盛衰だけではなく、国も私利私欲に走れば遠からず崩壊してきたのである。自らの仕事を選ぶときもこの大原則を忘れてはならないだろう。



まとめ 『仕事とは』

 就職とは仕事をする職業に就くことである。それでは、その仕事とは何なのだろうか。生活の糧と自らの欲望を満たすためだけに行うことではない。仕事とは社会に対する貢献である。社会に対して貢献することにより、人々から感謝され、その代価を受け取って成り立つものであり、その大原則に離れた仕事をしても長続きはしないのである。よい仕事とは自らの得意分野や好きな分野で社会に貢献することではないだろうか。

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